第1章 精神科治療法の評価
古川壽亮
要旨:臨床家は臨床に役立つ情報をどこで手に入れることができるであろうか。教科書、雑誌(レビュー論文、原著論文、エセー記事など)、同僚医師や先輩医師の意見、自らの経験、講演会やセミナー、製薬会社の広告、製薬会社MRとの会話などいろいろと考えられる。臨床家がさまざまな情報を批判的に吟味する能力を持たないことには、これらの情報から真に患者にとって有用な情報を見分けることはできないだろう。「情報」の海の中から強い証拠に裏付けられた「知識」を取り出すための方法は、臨床疫学が指し示している。医学的治療方法の効果について、もっともバイアスの可能性の少ない評価方法は、無作為化比較試験randomized controlled trial(RCT)である(world Health Organization ,1991)。英国の疫学者A・Cochraneが主張するように、すべてのRCTを批判的に吟味した上で、統合し、しかも定期的に更新するには膨大な労力が必要である。イギリスでは国民健康サービスNational Health serviceの研究開発プログラムの一貫としてOxfordとYorkに2つのセンターが1992年に設置され、米国では保健福祉省の公衆衝生サービスの中に医療政策研究庁Agency for Health Care Policy and Research(AHCPR)が1989年に設立され、ともに医療サービスに関する系統的レビューを行なう任務を与えられている。そして国際レベルでは、世界各国に現在13のCochrane Centerが設置され、共同ですべての医療分野における無作為化比較試験の系統的レビューを作成し、定期的に更新し、普及させることを目標としている。こうして作成された系統的レビューはCochrane Libraryと称されるCD-ROMによって年4回頒布されている。Cochrane Library を覗いてみると、精神医学領域ではSchizophrenia GroupとDepression、Anxiety and Neurosis GroupとDementia and Cognitive Impaiment Groupが登録されている。医療資源は有限であるから、まず正しくデザインされた臨床試験で適切に有効性を評価されたヘルスケアが公平に供給されるように、医療資源は使用されなくてはならない。
第2章 大うつ病の薬物療法−実証的証拠に依拠した治療ガイドライン
古川壽亮
要旨:大うつ病の薬物療法については、無作為化対照試験randomized controlled trial(RCT)の系統的レビューに基づく治療ガイドラインがすでに発表されている。そこで、本章ではこれらのガイドラインに依拠して、細目については入手可能であった他のメタアナリシスを参照しながら、大うつ病の薬物療法についての治療ガイドラインを提示してゆく。要点を列挙すると、
@治療は3つの段階に分けられる。それは急性期治療、継続治療、維持治療である。急性期治療は、うつ病の症候を除去し、心理社会的・職業的機能の回復を目的とする。これを寛解remissionという。寛解から6カ月以内に症状が再度生じ大うつ病の診断基準を満たす場合、再燃relapse(現在挿話の症状が再度生じたと考えられる)が宣言される。継続治療は、この再燃を予防することを目的とする。大うつ病相後4〜9カ月間無症状であった場合、病相からの回復recoveryが宣言される。回復に至ったならば、継続治療は中止することができる。しかし、反復性うつ病の患者においては新しい病相(これを再発recurrenceという)が数カ月ないし数年以内に生じるかもしれない。維持治療はこの再発を防止することを目標とする。
Aすべての治療は、患者と場合によってはその家族に対して、うつ病の性質や経過、治療手段に関する教育と話合いを行なう臨床的配慮のもとに行なわれなければならない。とりわけ、実質的な改善が現われるまで2〜3週間を要することを患者に伝えなくてはならない。薬物療法を行なう場合も、臨床家は患者に対して、支持、助言、安心、希望を与えなくてはならない。
B反応性か内因性かという病因論的区別は、大うつ病の診断と治療の決定にとって、もはや重要な区別であるとはみなされない。
C薬物療法は大うつ病の診断基準を満たす者およびこの診断閾値よりはやや低い者において有効である。
D中等度から重度の大うつ病患者は、本格的な精神療法が併用されるか否かに関わらず、薬物療法によって治療するのが適切である。薬物は症状を軽減することを証明された分量を処方しなくてはならない。個々の患者は低用量で反応するかもしれないが、75mgまたはこれ以下の三環系抗うつ剤はプラセポと同等の効果しか有さないことを示したRCTが存在する。
E継続治療においては、とりわけ初発患者においては大うつ病挿話の発症が特定しにくいため、ほとんどの患者は十分量の抗うつ剤を、症状寛解の後も継続治療として4〜9カ月(大うつ病の平均持続期間)投与されなくてはならない。
F維持治療は、新しい大うつ病相を予防することを目的とする。3回以上の大うつ病相のあった患者は、長期の維持治療の対象となりうる。
第3章 大うつ病に対するBZ系抗不安剤・抗うつ剤併用療法−系統的レビュ−
古川壽亮
要旨:大うつ病の治療において抗うつ剤にベンゾジアゼピン(BZ)系抗不安剤を併用することは日常臨床でしばしば行なわれる。そこで、抗うつ剤に抗不安剤を併用することが不利益を上回る利益をもたらすかどうかについてのRCTを系統的検索し、あらかじめ定められた条件によってレビューした。1980年1月から1996年9月までのMEDLINEを検索し、さらにこの検索によって同定された研究に掲げられた文献欄からさらに該当するRCTがないかを探した。レビューの対象としたのは、明示的な操作的診断基準によって大うつ病またはこれとほぼ同等の病態と診断された患者を対象とするすべてのRCTである。RCTはペンゾジアゼピン系抗不安剤と抗うつ剤の併用療法と、抗うつ剤単独療法とを比較したものであればよく、プラセポ投与群を設けていなくてもいいとした。また、RCTは、適切な方法で無作為割り付けがなされていなくてはならないし、治療者および被験者に関してブラインド化されていなくてはならないとした。対象として選択された研究から、i)RCTの行なわれた場所の特徴、ii)対象患者の人口統計学的特徴、iii)対象患者の臨床特徴、iv)介入の種類、V)無作為割り付けの隠蔽方法、Vi)追跡期間、Vii)追跡中の脱落率、Viii)症状学的重症度(これは連続変数で測定されていることが多いが、可及的に臨床的有用性を表わすために何らかの「反応率」を提示するようにした。観察者評価尺度と自記式評価尺度が両方用いられている場合は、観察者評価尺度を採用した)、ix)副作用の出現率を比較した。選択基準を満たし、系統的レビューの対象となったRCTは、Bowen(1978)、Feighnerら(1979)、Cohn(1983)、Dominguezら(1984)、Feetら(1987;1985)、Feetら(1988)、Scharfら(1986)、Fawcettら(1987;Kravitzら,1990)、Calcedo Ordonezら(1992)、Nolenら(1993)である。結果、中等度以上の不安もしくは不眠を伴ううつ病を対象としたRCTでは、治療初期(1〜2過)にはうつ病評価尺度得点の改善率が併用群で単剤群よりも有意に高いが、4週日以降ではこの有意差はなくなる。脱落率や副作用の出現率は両群で有意差はないという報告が多かった。必ずしも不安の強くないうつ病を対象としたRCTでは、治療初期から治療6〜8週間後を通して併用群と単剤群とでうつ病評価尺度得点の改善率に有意差はなかった。
第4章 うつ病の心理社会的治療の実証的効果研究と治療ガイドライン
林直樹
要旨:近年、うつ病に対する精神療法、心理社会的治療の効果の研究は目覚ましく発展しており、その効果はほぼ確実なものとして確認されつつある。1970年代から認知行動療法(cognitive Behavior Therapy(CBT))、対人関係療法(Interpersonal Therapy(IPT))などの精神療法のうつ病に対する効果の無作為対照比較試験(RCT)による研究が進められ、それに抗うつ剤と同等の効果があることが主張されてきた。Elkinら(1989)の厳密な手法に基づくNIMH多施設共同研究の結果は、imipramineによる薬物療法が最も効果的であり、IPT、CBTの効果は薬物療法の効果に近接しているというものだった。つまり、うつ病の精神療法の効果は確認されたものの、重症のうつ病では薬物療法が最も信頼すべき治療法だと結論づけられた。この研究以後も、CBTについてStravinski(1994)、Hollonら(1992)など、IPTについてSchulbergら(1996)などによって、精神療法の効果の確認の努力が続けられている。さらにFavaら(1996)は、継続期、維持期にCBTが病相予防効果があることを確認し、Katonら(1996)は、数回の面接などからなる簡便な介入のプライマリーケアの場における有効性を確認している。
これらの研究所見から、社会心理的治療はうつ病の治療に有効であるということができる。それはうつ病の急性期治療ばかりではなく、その発病予防や維持期や継続期の治療、病相予防にも有効である可能性がある。しかし、社会心理的介入の間の効果の相違は明瞭でなく、またその効果には治療者の技能や患者の治療意欲に依存しており、薬物療法に比較すると確実さに欠ける面が否めない。今後、我々はわが国の治療状況に適合する治療ガイドラインの作成に向けて、このような社会心理的治療の効果の確認と効果特性の検討、および患者の症状や特質に合わせた治療方法の検討を重ねる必要がある。
第5章 うつ病の物理的治療法−電気けいれん療法と高照度光療法
坂元薫
要旨:うつ病の物理的治療法として代表的な電気けいれん療法(ECT)ならびに近年開発された高照度光療法に関する基本事項と論点をまとめ、治療ガイドラインを提示した。まずECTの開発の歴史、うつ病に対する有効性、作用機序、適応、副作用、禁忌をまとめた。その際、うつ病に対するECTの有効性(有効率60〜80%)が一連の無作為割り付け臨床試験によって実証されていることと無けいれん性電撃療法(mECT)の有用性を強調した。ECTをめぐる論点の1つとして電極位置をとりあげたが、一側性ECTはlow−doseでは無効であり、近年では両側性ECTが推奨されることを紹介した。ECTの第一選択条件は、重症うつ病、精神病像を伴うもの、適切な抗うつ薬に十分に反応しないもの、自殺の危険性が高いもの、拒食により生命的な危機状態にあるもの、症状が重篤で遷延する傾向がある場合などである。ECTの施行手順としては、まず適切な術前検査を行ない、相対的禁忌事項(脳内占拠病変、心疾患など)の有無のチェックを行なう。ECT施行期間は向精神薬の減量あるいは中止が望ましい。筋弛緩薬使用によるmECTは、手術室あるいはそれに準じた設備のある個室にて人工呼吸下に施行する。通電手技は精神科医が行ない、麻酔手技、人工呼吸・循環動態の監視は麻酔科医が行なうのを原則とする。合計6〜12回を1〜2日おきに施行するのが原則である。5〜6回の施行後もまったく効果が認められない場合には、ECT継続の適否をめぐる再評価が必要である。ECTによって症状の十分な改善が得られた症例であっても、病相再燃・再発予防のために引き続き抗うつ薬による維持療法を考慮する。
高照度光療法は、日照時間が短縮する冬期にうつ状態を繰り返す季節性感情障害(SAD)に対する治療法として開発されたものであり、SADの50〜60%に有効とされる。特に過眠・炭水化物飢餓を伴い季節性が明瞭なSAD例の有効率が高いが、SAD以外のうつ病に対する高照度光療法の効果に関する見解は一致していない。照射タイミングに関しては、朝照射の有効性は確認されているが、夕照射の効果に関しては一致した見解がない。2500Luxの高照度光の眼照射を原則として早朝2時間、SADの症状が出現する期間の毎日施行する。網膜症などの眼疾患がある場合には慎重に施行する。
第6章 双極性障害の治療−躁病の治療と双極性障害の予防療法
坂元薫
要旨:双極性障害の治療薬剤として気分安定薬であるリチウム(Li)、カルバマゼピン(CBZ)、パルプロ酸(VPA)の躁病に対する有効性、双極性障害に対する再発予防効果、副作用、禁忌と神経遮断薬(NLP)について概説した。躁病の治療の論点として、LiとNLPの効果比較、Li、CBZ、VPAの治療反応予測因子やそれらの非反応者に対する対策について検討した。以上をもとに躁病の治療(急性期治療、継続療法)アルゴリズムを作成した。まずDSM-IV基準などにより躁状態の重症度評価を行ない、治療スタイル(外来、入院)を選択する。軽症から中等症の躁病の治療には、Liが第一選択薬となることが多い。不機嫌、易怒性の目立つ中等症の躁病に対しては、LiとNLPとの併用が基本となる。精神運動興奮が著しい重症躁病例や精神病像を伴う重症の躁病例にも、LiあるいはCBZとNLPの併用が基本であるが、NLPの非経口的投与が必要な場合も少なくない。この場合には、経口投与が可能となれば気分安定薬を主体とした治療としてゆく。これらの薬物療法が無効な場合には、電気けいれん療法の適応となる。
双極性障害は再発性が高く、予防的維持療法が重要な課題となる。双極性障害の予防療法の論点としてその開始時期と第一選択薬、Li予防療法の中止時期の目安とLi中断による躁病再発、Li、CBZ、VPAの予防効果の比較などについて検討した。以上をもとに双極性障害の予防療法ガイドラインを作成した。双極性障害の予防療法の開始時期は、2回の躁病エピソードがある場合を一応の基準とする。躁病急性期のLi有効例には、Liを第一選択薬とする。予防療法中に躁、うつ病相が見られた場合には、Liの増量を考慮するが、重症度が高い場合にはNLPあるいは抗うつ薬を併用する。Rapid cyclerに対しては、CBZあるいはVPAの単独使用、あるいは気分安定薬の併用を考慮する。さらに可能なかぎり抗うつ薬を中止して、経過の変化を評価する。予防療法は少なくとも2年間は続行する。Li予防療法の中止によって、早期に躁病エピソードが誘発されやすくなるので、Li中断の際は徐々に減量する。双極性障害に関する一般的知識、病相再発の誘発因となる心理社会的因子、再発の初期徴候、服薬継続の重要性などに関するサイコエデュケーションを行なうことも重要である。
第7章 気分変調症の精神療法および薬物療法−系統的レビュー
古川壽亮
要旨:従来抑うつ神経症あるいは神経症性うつ病と呼ばれていた疾患群は精神療法の対象であり、薬物療法は無効であると長らく主張されてきた。しかし、よく計画された対照群を設けた臨床試験はこれらのオピニオンに矛盾するエビデンスをつきつけてきた。このような流れの中で、従来の神経症性うつ病のうち症候学的に一定の重症度を持つ疾患群は大うつ病と診断され、一方慢性で軽症のうつ病のみが気分変調症というカテゴリーに診断分類されるようになってきた。この慢性軽症うつ病の精神療法および薬物療法についての最新のエビデンスを系統的にレビューした。1980年1月から1996年9月のMEDLINEにおいて文献検索を行ない、さらにこの検索によって同定された研究に掲げられた文献欄からさらに該当するRCTがないかを探した。レビューの対象としたのは、DSM-III-R、DSM-IVまたはICD-10の気分変調症の診断基準を満たす患者群が対象となっており、帰結変数に症状学的重症度の評価を含んでいる、プラセボ投与またはこれに相当すると考えられる対照群を設けたすべてのRCTである。対象となった研究から、i)RCTの行なわれた場所の特徴、ii)対象患者の人口統計学的特徴、iii)対象患者の臨床特徴、iv)介入の種類、V)無作為割り付けの隠蔽方法、Vi)追跡期間、Vii)追跡中の脱落率を抽出した。Viii)症状学的重症度は連続変数で測定されていることが多いが、臨床的有用性を表わすために何らかの「改善率」を提示するようにした。選択条件を満たし、系統的レビューの対象となったRCTは、Thaseら(1996)、Hellersteinら(1993)、Nardiら(1992)、Kocsisら(1996)であり、他に6つの研究が3つの条件を完全に満たすものではないが、参考のために追加された。これらをまとめると、気分変調症、とりわけ慢性大うつ病または部分寛解大うつ病とは異なる疾患としての気分変調症が診断されるようになってまだ日が浅いため、その治療法を検討したエビデンスは数少なかった。しかし、薬物療法による急性期治療および維持療法の有効性を示す強力なエビデンスが存在すると考えられる。一方、精神療法または精神療法と薬物療法の併用の有効性についてはこれを示す先行研究は存在しない。
第8章 広場恐怖を含む恐慌性障害と強迫性障害、恐怖症性障害
原井宏明
要旨:広場恐怖を含む恐慌性障害と強迫性障害、恐怖症性障害の治療について最近の展望文献を系統的にオンラインデータベースを用いて収集した。恐慌性障害と強迫性障害については多数の展望文献が80年代末から出版されていた。無作為割付比較試験を集めて治療方法同士を比較したメタアナリシスも数本あった。また、推奨すべき治療について既にいくつかのガイドラインが公的機関から公表されていた。80年代以降、これらの精神障害の扱いが大きく変わったことが示唆された。
収集した展望文献は、恐慌性障害と強迫性障害に対する薬物療法と行動・認知療法の治療効果について信頼できる経験的証扱があることについて一致していた。多くの文献がセロトニン動作性抗うつ薬とexposureを含む行動・認知療法の併用を推奨していた。恐怖症性障害の中で社会恐怖については信頼できる治療成績がまだなかった。特定の恐怖症については行動・認知療法の治療効果について信頼できる証拠があったが、臨床試験の数が限られていた。特定の恐怖症については診断分類が発展途上にあり、今後の変化が期待された。
現在、治療方法の開発研究は高原状態にあり、今後の研究課題は、非典型例や他の精神障害を合併した例、社会恐怖と特定の恐怖症などの治療にあたることが示唆されていた。我が国の場合、有効性が証明されている薬剤を健康保険で処方できるようにすることと、適切な治療を施行できる施設を作ること、こうした施設に患者が受診できるようにすること、が課題であると考えられた。
最後に、具体的な治療の進め方について収集した文献や行動療法学会のワークショップの資料、報告者が経験した症例を基にしてまとめた。はじめに、診断・評価と合併疾患の診断、治療計画、行動・認知療法の主体となるexposureについて述べた。次に、疾患別に治療の実際を示した。恐慌性障害の治療は比較的容易だと考えられるため、薬物療法と行動・認知療法を行なうさいのマニュアルになるようにした。強迫性障害については薬物療法について詳しく述べた。強迫性障害にはexposureとresponse preventionが推奨されているが、実施が困難だと考えられるため、薬物で寛解しない場合は行動療法が行なえる施設に紹介することを勧めた。社会恐怖と特定の恐怖症については治療のあらましについて述べた。
第9章 外傷後ストレス障害(PTSD)−実証的証拠に依拠した治療ガイドライン
古川壽亮
要旨:外傷後ストレス障害 Post-traumatic Stress Disorder(PTSD)は、極度に外傷的なストレス因子への暴露に続き生じてくる一連の特徴的な精神症状をいう。本章ではPTSDの治療についての系統的レビューを探索し、そこからPTSDについての実証的証拠に依拠した治療ガイドラインを得るように努めた。PTSDに関する系統的レビューまたは治療ガイドラインを検索するために過去10年間のMEDLINEを検索し、さらに得られた文献の引用文献から参照できそうな文献を選択した。この作業により、PTSDの治療についての実証的証拠に留意した系統的または非系統的レビューとして、5本のレビュー論文が見つかった。
これらのレビュー論文をまとめると、行動療法としては系統的脱感作とfloodingがRCTで検討されていた。系統的脱感作を検討した2つのRCTは、ともに無治療群に比して、PTSD症状の有意な軽減を認めた。floodingを検討した4つのRCTでは、PTSDの侵入症状に対して有効であることが示された。回避症状には効果がないようであった。しかも、floodingには重篤な副作用が報告されていた。認知療法を検討したRCTは1つしかなかった。これによると認知療法は治療終了時点ではfloodingや支持的カウンセリングよりもPTSD症状、抑うつ、不安において有意な軽減を認めたが、3.5カ月後にはfloodingのほうが認知療法や支持的カウンセリングよりも優れていた。力動的精神療法を検討したRCTも1つしかない。これによると力動的精神療法は無治療群に比して、PTSD症状の有意な軽減を認めた。
薬物療法についての6つのRCTの結果は区々である。PTSDは多面的な疾患であるので、薬物療法はより包括的な治療アプローチの一部分と考えなくてはならない。
PTSDに対する精神療法と薬物療法の併用の効果についてのRCTは存在しない。
第10章 人格障害の治療効果の研究と治療ガイドライン
林直樹
要旨:人格障害の治療を定式化することは、他の一般的な精神障害の場合よりもはるかに困難である。また、臨床の場では、治療についての多くの見解が併存しており、治療をしないという判断(no treatment option)も重要な検討事項となっている段階である。
専門家の問では、おしなべて長期にわたる精神療法的関与が人格障害に有効であるとされているが、その有効性は未確認である。文献的に現在までに4件の無作為対照比較試験(RCT)が報告され、短期、中期的治療における精神療法の効果を確認している。このように、人格障害に村する精神療法、社会心理的治療の有効性は、現在徐々に実証的に確認され始めた段階である。しかし、そこには人格障害の治療効果の研究に患者の協力が得られにくいこと、一般に人格障害の治療が長期にわたることが多いといった問題が付隠している。特にわが国では、人格障害の精神療法は精神医療の対象領域として臨床的実績を挙げなければならない段階にあるといわざるをえない。人格障害の薬物療法の効果の報告は、着実に増加しつつあり、近い将来一層充実することが予想される。しかし、現在その対象は、合併精神障害に対するものを除けば、境界性人格障害と社会恐怖を伴う回避性人格障害に対するものに限られている。人格障害の薬物療法には、それが長期にわたる可能性があること、薬物療法への反応が不十分であることが多いこと、使用される薬剤が定式化されておらず、広い範囲の薬剤を考慮しなければならないので、試行錯誤を余儀なくされる局面が多いこと、などが特徴として挙げられる。薬物療法の臨床上の留意事項としては、@薬物依存の発展、助長の恐れなどの危険性の認識、A十分な説明と合意、特に薬物の作用の理解の共有、B他覚所見の重視、が指摘されるべきである。